「決闘」という言葉を聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。私は、宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島での対決や、西部開拓時代のアメリカにおけるガンマンの対決を、まず思い浮かべます。いずれにしても、決闘という言葉から想定されるイメージは、古い時代に行われていた、特定のルールに基づく、1対1の私的な対決ではないでしょうか。
決闘が、現代社会において法的に認められていないことは常識です。しかし明治時代には決闘是非論が巻き起こり、「文明の華」として肯定する主張や、「野蛮の遺風」として否定する主張など、様々な主張が展開されました。最終的には、明治22年(西暦1889年)、公衆の秩序維持を目的として「決闘罪ニ関スル件」という法律が可決され、決闘は禁止されました。そして、この法律は、現代でも効力を有しており、決闘を行った者は、同法律に基づき処罰されることになります。
ここで、同法律上処罰の対象となる「決闘」とは、判例によれば、「当事者間の合意により相互に身体又は生命を害すべき暴行をもって争闘する行為」であるとされ、1対1で行われることは要件となっておりません。そのため、タイマンと呼ばれる1対1の対決のみならず、集団対集団の対決や、1対集団の対決についても、決闘罪は成立することになります。
また、同法律は、決闘を挑み、または応じる行為についても処罰の対象としています(決闘挑応罪)。そのため、実際に決闘行為が行われなくても、決闘挑応罪が成立することがあります。
このように、「決闘罪ニ関スル件」は、1対1の決闘行為にとどまらず、広く処罰対象を規定しておりますが、同法律が実際に適用されることはあまりなく、時折、暴走族等若者同士の抗争などに関して適用されるにとどまるようです。
弁護士 平岡 広輔